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越前若狭ふるさとリポート
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心を揺さぶる魂の響き
「O・TA・I・KO響」
「O・TA・I・KO響」
21世紀に響け 太鼓のまち織田町
O・TA・I・KO饗宴
織田町の創作和太鼓集団
O・TA・I・KO座「明神」
私たちのふるさと・織田町は、緑深い丹生の山々に囲まれ、劔神社と越前焼に代表されるように古い歴史と文化、豊かな自然に恵まれた町です。町の中心に位置する鎮座1800年の歴史を誇る越前二の宮「劔神社(つるぎじんじゃ)」とともに発展してきた町で、町名から推測されるように戦国武将「織田信長」の祖先は当神社の神官であり、出身地の地名を取って「織田氏」を名乗ったとされています。当町では、先達が営々と築いてきたこれらの歴史的・文化的遺産を活かし、わが町にすむ人が誇りを持てるよう、「夢と誇りを持って創造する共生とにぎわいのまちづくり」を推進しています。
当町の全集落には、五穀豊穣を祈念する「だいずり太鼓」が昔から伝わっており、また、330年余りの伝統を持つ県の民族無形文化財「明神ばやし」があるなど、たいへん太鼓の盛んな町です。毎年10月に行われる「織田まつり」には、町内8支部全てからだいずり太鼓の山車が繰り出され、太鼓を勇壮に打ち鳴らしながら劔神社の前通りを巡業するのが名物となっています。
このような太鼓芸能文化を背景に、平成元年度の「ふるさと創生事業」により、町の太鼓文化のシンボルとして、当時西日本一の五尺の大太鼓「明神(みょうじん)」を製作しましたが、これを契機として織田町民による創作和太鼓集団O・TA・I・KO座「明神」を結成、活動を開始しました。
そして、翌平成2年には、この大太鼓を核として、当町の誇り高い伝統文化である太鼓を継承発展させるとともに、太鼓を打ち、愛する人を応援し、太鼓を通して町内外の交流の輪を広げることを目的として、和太鼓の祭典「O・TA・I・KO響'90」を開催することとなりました。開催に当たっては、町民が愛着を持ってくれる「町民の町民による祭典」に成長させようとの考えから、祭典の目玉としてO・TA・I・KO座「明神」をはじめとする町民による太鼓の演奏を行うとともに、国内はもとより広く海外からも応募者を募る和太鼓のコンテスト「オールジャパン・オタイコ・コンテスト」や国内外和太鼓の第一人者等による和太鼓の響宴「O・TA・I・KO響宴」等を中心に構成されたユニークなイベントを行い、町内外の方々から大変な反響をいただきました。平成11年度には10周年を迎えましたが、この間、来場者延べ14万5千人、出演ゲストは日本各地・アメリカ・オーストラリア・韓国より約40団体にのぼり、小さな町の小さなイベントも年を重ねるごとに日本を代表する和太鼓のイベントに成長してきました。
手づくりのイベントづくり
O・TA・I・KO饗宴
イベントの実施にあたっては、住民主導の実行委員会が組織されています。
従来、「町をあげてのまつり・イベントは町(行政)が行うもの」という住民の根強い認識を変えるべく、「O・TA・I・KO響'90」の実行主体を町商工会青年部に任せて開催、町商工会青年部層を中心に、自分たちの手作りのイベントにするという意識が芽生えました。平成5年には、巨大化した当イベントに柔軟に対応すべく、町内外から一般募集したボランティア・スタッフ「スタッフDON・どん」による実行委員会形式に組織替えを行いました。以来、一貫して町内外のボランティアスタッフ約300名が10の班で役割を分担し、企画・運営・実施に当たっています。
毎年、試行錯誤を繰り返しながらも、よりよい方向を見い出そうとするスタッフの知恵とエネルギーを結集し、住民主導でなければ生まれない新たな発想が提案、実践されてきました。それと共に、会場・舞台・駐車場設営からオリジナルグッズに至るまで、全てがスタッフの手作りという、イベント屋に頼らない手作りのイベントができあがっています。
また、来場していただいた方への“ありがとう”という感謝の気持ちと、温かい出会いの“喜び”の気持ちを込めたスタッフ一人ひとりの笑顔が観客に感動を与え、「O・TA・I・KO響ファン」を増やしているのです。
「O・TA・I・KO響」の効果
「スタッフDon・どん」企画部会
この和太鼓の祭典がもたらした一番の効果は、このイベントに携わるスタッフのみならず、町民が自分の住んでいる町に“誇り”を持てるようになったということです。元々当町は観光主体の町ではなく、町外からの交流人口もほとんどありませんでした。しかし、当イベントを通して住民が町外からの訪問者に対する「もてなしの心」を自然と持てるようになり、また、もてなした相手からの感謝、称賛を受けることによって、自分の町に愛着を持ち「織田町はこんな町ですよ」と胸を張って言えるようになりました。
また、年々ボランティアスタッフへの応募が各層にわたり着実に増えており、普段接することのない世代間のコミュニケーションが図られてきています。当イベントだけでなく、町の活性化に係る事業、地域づくりのために、住民自らが積極的に関わっていくという姿勢が醸成されてきているのです。
これら町民の積極的な活動が評価され、住民の参加により地域の特性を活かしたまちづくりについて先進的な取り組みをしている町として、当町は、「平成11年度住民参加のまちづくり自治大臣表彰」を受賞することができました。
今後の課題と展望
当イベントも10周年の節目を終え、住民が主導のイベントとして定着した感がありますが、逆に、当初からこのイベントに関わってきたスタッフ(住民)たちはマンネリ感を抱きはじめています。新しい血を注ぐためにも、また、巨大化した当イベントに対応していくためにも、大幅なスタッフの増員が急務となっています。新たな10年に向けて、「O・TA・I・KO響」が常に新鮮であり続けるために、初心を忘れず、かつ、自らが主体的に町づくりに取り組むという心を継承していくスタッフの再構築を図るという転換期を迎えています。
また、10周年を記念して、「O・TA・I・KO響」が単なるイベントにとどまることなく、一層の太鼓文化の継承発展と交流の輪の拡大に努めるため、「太鼓ワークショップ」の企画・開催を始めたところですが、今後の展開方法を模索しているところです。
今、次へのステップを目指して大きなエネルギーが必要な時期を迎えていますが、今後も引き続いて「夢と誇りを持って創造する共生とにぎわいのまち」づくりのために、地域住民一体となって「O・TA・I・KO響」の新たな展開に取り組んでいきます。
幟もボランティアスタッフの手作り
インタビュー
O・TA・I・KO響
実行委員会運営委員長、
織田町商工会青年部長
小辻 治和氏
(こつじ はるかず)
Q:今までの一番の苦労は。
A:
やはりスタッフの体制づくりですね。最初の頃はイベントの規模も小さく、町の商工会青年部主体で結束も固く、楽しみながらでもOKでした。でもイベントが巨大化して、これに対応するために、平成5年には一般募集のボランティアスタッフによる各班分けの体制を組織しました。班分けにすると人数の確保が大変で、友人・知人のコネで集まってもらうところからスタートしました。色んな仕事分担を想定して班分けしたものの、来ていただくお客さんの事を考えて少しでも良くしたいと思うと、各班とも何をしていいのか分からず、お客さんに今まで以上に満足してもらいたいというみんなの思いが、逆にプレッシャーになっていったように思います。また、平成10年から、巨大化したこのイベントを高いレベルで維持していくために、「響賛金」(入場料)500円をいただいていますが、この響賛金制度の決定までにはスタッフ内で揉めに揉めましたね。今では、響賛金以上のものを絶対にお見せしたいとスタッフ一丸でがんばっていますし、お客さんから「もっと響賛金を出してもいいよ」という嬉しい声も聞こえるようになりました。
Q:今まで続けてきての喜びは。
A:
お客さんが「良かった」「素晴らしかった」と言って帰ってもらえる時が一番嬉しいですね。今では、福井県内で「O・TA・I・KO響」と言えば誰でも知っているくらいのイベントになり、織田町のPRに役立っているという実感があります。
Q:最後に今後の課題と抱負をお聞かせください。
A:
最初からの経緯もあり、今は町商工会青年部長イコール運営委員長ということになっていますが、これからはボランティアスタッフの中から運営委員長になるような人材が育って欲しいと思います。町内外を問わずスタッフを募集していますので、是非、多くの人に私たちと一緒に参加して欲しいですね。 それから、これは課題でもあり抱負というか夢でもあるのですが、オタイコ・ヒルズという素晴らしい施設も整備されている織田町を、太鼓文化の拠点にしたいと考えています。太鼓を打っている人達はプロ・アマを問わず誰もが皆、「O・TA・I・KO響」のステージに一度は立ってみたいと言われるようになったら最高ですよね。 今はまだ、年に1回のイベントですが、太鼓ワークショップの定期的開催とかオタイコ・コンテストの地方予選実施など、太鼓人口の底辺の拡大に繋がるような活動にまで展開していきたいですね。