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越前若狭ふるさとリポート
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街道熊川宿で
2日間のタイムスリップ
熊川宿の秋祭り「熊川いっぷく時代村」
自然豊かな宿場町
上中町は、若狭地方の中心部に位置し、古くから京都と交流し、宿場町として発展した人口約8千2百人の町です。古墳などの歴史的遺産を守りながら、瓜割の滝に代表される美しく豊かな自然を活かした環境整備を進めています。また、平成8年7月には、宿場町熊川が福井県で初めて重要伝統的建造物群保存地区の選定を受け、住民と行政が一体となってその魅力的な歴史景観を保存するとともに、快適な居住環境や観光を考慮した整備を推進し、地域住民が誇れるものとして、また、町の文化と観光の拠点として整備しています。
保存地区からまちづくりへ
道の駅「若狭熊川宿」
京都へ様々な海産物を運んだ鯖街道の宿場町、熊川宿の町並み保存の歴史は実に長く、多くの人たちの尽力で今日まで残されてきたと言えます。しかし、国の重要伝統的建造物群保存地区の選定については、住民の合意を得ることが非常に困難でした。
その理由として、選定されれば家屋の改築に際して実に大きな制約がかかるのではないかということでした。そこで「保存」から、伝統的歴史景観を活かした「まちづくり」をしていこうという新たな観点で、再度選定を目指し、講演会や研修を進めるにつれ、住民に愛着と自信が深まり、町並み保存の活動が活発になっていきました。そして、昭和56年の調査以来、実に15年目の平成8年7月に重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けました。
それ以降、民家の整備も行われ、平成11年には中ノ町(中心部)の電線地下埋設、前川の法面整備などの整備が完了し、道の駅「若狭熊川宿」も完成しました。
これらのことにより、人々が住むまちだけではなく、宿場町として人々が訪れるまちとして、歴史、文化を保存、継承し、訪れる人々を人情溢れるもてなしで受け入れる“まちづくり”が着実に実践されてきました。
熊川いっぷく時代村
こうして、熊川宿は貴重な歴史遺産として保存されるようになりましたが、町並み保存と同時に観光という地場産業を推進していく場でもあります。宿場町の整備と同じく整備された道の駅「若狭熊川宿」と四季彩館では、上中町の紹介、特産品の振興を図っており、これらのことから、熊川宿で上中町のPRを行い、町全体の活性化と地元民の意識の高揚を図るために、行政、町民一体となって、鯖街道熊川宿での一大イベント「熊川いっぷく時代村」の開催に向け検討を始めました。
手作りのイベントづくり「熊川いっぷく時代村」
籠屋でござるin熊川宿
ちょうちん御輿
てっせん踊り
人力車
熊川地区では、地元区民による若狭熊川宿まちづくり特別委員会など自主的な活動が活発であり、イベント実行委員会のメンバーもその中から多く参加しています。
若い力、アイデアを取り入れるため、若い世代の実行委員も参加し、また、地元商工関係者も実行委員に加わってもらい、まちづくりと産業の振興が一体となったイベントの実施を目指し企画運営を行いました。
特に、実行委員会ではイベントを長く続けていこうと、イベントの構成や内容の他、自分たちでできることはなるべく実行することとし、イベント用品の製作や前川を演出する芋洗い器など、会場の演出などについても実行委員により製作を行うこととしました。
そして、平成12年10月に鯖街道の秋祭りとして、昔懐かしい内容を盛り込んだ宿場町ならではの催し「熊川いっぷく時代村」を開催することができました。
このイベントの目的は、熊川宿の町並みの魅力を活かした、産業振興、地域の活性化であり、平成13年には、宿場町の会場では、籠を使ってのレース「籠屋でござるin熊川宿」を行い、時代衣装を意識してのパフォーマンスや時間を競いました。また、お囃子を行いながらにぎやかに町並みの中を歩くちょうちん御輿、ちょうちん行列、福井県出身の民謡歌手恩地美佳さんによる夜の民謡ライブ、宿場の歴史と伝統を紹介する熊川音頭、てっせん踊りが催されています。また、道の駅「若狭熊川宿」の会場で は、特産品試食ができるなど、歩いて、見て、参加して楽しい時代村体験のできるものを催しています。
特に、「てっせん踊り」は、京都から鯖街道を経由して伝えられた盆踊りで、京都市一条寺鉄扇郷土芸能保存会の方々に御指導をいただき、住民の方の取り組む熱意と練習によって80年ぶりに熊川宿に復活したものです。
保存地区としての問題点
実行委員の中には熊川宿の町並みの中に住んでいる人も多く、運営体制などについても多くの意見や問題点が出されました。会場となる宿場町の街道は、現在も地域住民の生活道路であり、その横に流れる前川は、町並みを美しく彩るだけでなく、生活に欠かせないものとなっています。しかも、重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けている地域なので、様々な問題や制限が存在しました。
それは、中心となる会場が“街道”であるために、大きなステージ形式のイベントができないこと、街道沿いに前川が通っているため、混雑時や日が落ちてきたとき危険であること、昔からの宿場町であるため駐車スペースがほとんどないこと、アクセスが悪く、ほとんど自家用車による来場となってしまうことなどです。
インフラ整備もあり、簡単には解決しない問題ばかりでしたが、地元の住民の理解を得ることが第一であり、実行委員のアイデアと熱意により解決していくことが必要でした。
実行委員会では、小学校の校庭を駐車場として借用し、歩くことを中心としたイベント会場にするなど、様々なことに対してイベント構成の検討を行い、現状に対する処置をあらゆる点から模索しました。
これはまちづくりのレベルから考えていくべきことであり、今までまちづくりに携わったことのない若い世代の実行委員もこのようなことが契機となり、熊川宿の様々な問題点を考えていくことになるだろうと思います。
これらの結果、2年目である平成13年には、2万7千人もの来場者があり、会場は大盛況となりました。イベント当日は、実行委員も忙しく動き回り、自分たちで作り上げてきたイベントに多くの来場者がくることに驚き、喜ぶだけでなく、来客への感謝の気持ちが心に残っていくことと思います。
課題と将来展望
熊川いっぷく時代村のようなイベントを行うことで、熊川宿はこれからも観光という面がクローズアップされてきます。住民の積極的な活動が実ったともいえるわけですが、注目度が上がるにつれ、“地域住民のためのイベント”なのか“観光振興のためのイベント”なのか位置付けを明確に示していく必要があります。これにより、将来像は見えてくると考えられます。
また、現在は国の補助金を活用し、イベントの運営を賄なっていますが、将来的には別の財源の確保を考えなければなりません。
そして、スタッフの充実も重要であり、現在の実行委員のイベント運営に関する知識や経験をさらに活かし、もてなしの熊川宿を体現できるスタッフが今後、不可欠となってきます。
イベントの中で行ったアンケートの中でも熊川いっぷく時代村の来場者は高齢者が多く、その方々を迎え入れるには、人と人のふれあいによるもてなしが不可欠だと考えられます。アンケートの意見の中には厳しい意見もありましたが、お褒めや激励の言葉も多くありました。その言葉の期待を裏切らないよう、多くの人の意見を聞きながら、まちづくりと同じく活発に意見を交わして着実な成果をあげていけるように取り組んでいきたいと思います。