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南越前町   越前若狭ふるさとリポート  
  南越前町 平成17年1月1日新町誕生!   南越前町
  海と緑と歴史の恵みに抱かれて、
出会いから活力の花ひらく町
 
「南越前町」の「み」をモチーフに、青・濃い緑・橙色を使用し、3町村の海と緑と歴史をイメージしています。
 
 平成17年1月1日に南条郡3町村の南条町、今庄町、河野村が合併して誕生した南越前町は、福井県のほぼ中央、嶺北地域の南端に位置します。武生市と接する福井平野の南端部、池田町、岐阜県、滋賀県、敦賀市と接する日野川上流の山間部と越前町、敦賀市と接する日本海沿岸の海岸部からなり、面積は343.84平方キロメートルと福井県全体の8.2%を占めています。日野川上流部の山間地に位置する今庄地区は、豊かな森林に恵まれ、その下流に位置する南条地区は、日野川の両岸に整備された田園地帯が広がっています。また、西側に位置する河野地区は、暖流と寒流が合流する好漁場である若狭湾に面しており、河野川などの複数の河川が日本海へ注いでいます。
 
南条地区
史跡「杣山城跡」第2次整備事業
居館跡調査状況
居館跡調査状況
土塁に積まれた石垣
土塁に積まれた石垣
現地説明会状況
現地説明会状況
 南条地区には、昭和9年3月に国の史跡指定を受けた「杣山城跡」があります。史跡「杣山城跡」は南越盆地の南端に位置し、標高492mの杣山は、珪岩の山容が険しく、天険の地であり、北陸への玄関口にあたる軍事経済上の要衝の地となっていました。このため幾多の武将が城を構え、越前支配の拠点としており、南北朝時代には、南朝方についた豪族瓜生保(うりゅうたもつ)公が足利方の大軍を迎えて激戦を繰り広げた本拠地としても知られています。
 杣山城跡は、昭和9年に県内でいち早く国の史跡指定を受けており、また、県内でも、朝倉氏遺跡(福井市)、平泉寺(勝山市)に次いで3番目の規模となっています。南条地区では、昭和45年度から昭和56年度にかけて、山城(山頂)の本丸跡などの発掘調査を含めた保存環境整備を第1次環境整備事業として実施しました。また、昭和50年度から昭和52年度にかけては、杣山城跡森林公園の整備を実施しました。しかし、第1次環境整備事業は、山城部を主とした整備であったことから、平成11年度から第2次の整備事業として、杣山城下(ふもと)部で特に学術調査価値の高い「居館跡」の用地買収に着手し、内容確認調査を実施しています。「居館跡」は、約3haと大規模なため、「御屋敷」・「大屋敷」・「西ノ谷」、の3つの調査ゾーンに分け、平成13年度は56箇所を調査しました。
 今回の調査では、建物の礎石や土塁に積まれた石垣が確認され、かわらけ・越前焼・中国製の陶磁器などが出土し、多くの成果を得られました。今後、これらの調査データを活用し、居館跡の史跡整備に向けて発掘調査を継続していきます。
 また、居館跡は、杣山登山道入口にあり、史跡見学者はもとより登山者も多く訪れ、発掘現場を見学することができます。登山道入口は3箇所あり、約3時間のハイキングコースとなっています。山の中腹まで車で行けるコースもあり、ファミリー向けのハイキングコースとしても人気があります。
 平成13年度には、地域住民なども含めた現地説明会や発掘体験なども企画・実施しました。現地説明会には、地元の歴史愛好家など地区内外から約70人が参加し、調査の現状について説明を受け、現場を案内してもらい、様子を見て回りました。
 発掘体験には、地区内の小学生が参加し、土の掘り方や遺物の見つけ方などについて簡単な説明を受けた後、それぞれがコテや鎌などを手に取り、陶器の破片などを掘り出しました。これにより、地区内の子供たちに、郷土の史跡に興味を持ってもらうことができました。
 
特産品「花はす」を活かしたまちづくり
特産品「花はす」
特産品「花はす」
花はすの収穫
花はすの収穫
瓜生の舘(花はす公園内休憩所)
瓜生の舘(花はす公園内休憩所)
 また南条地区には、特産品として「花はす」があり、「花はす」は昭和49年に、当時、県農業試験場に勤められていた岩崎義雄さん(南越前町堂宮在住)が切花用のはすを10a試作したところ、これが当地区の土地・気候条件に適していることがわかり、昭和51年には16戸の農家で15haの生産組織をつくり、現在では全国の約60%を出荷し、生産日本一を誇っています。この花はすは、「誠蓮(まことばす)」という品種で、120枚の花びらをもち、市場では大変人気があります。また出荷時期になると、花はすの圃場一面にピンクの花が咲きみだれ、多くのカメラマンが撮影に訪れるようになり、「花はす」は、単に出荷される特産品としてだけではなく、観光資源としての一翼を担うようになりました。
 そこで南条地区では、生産日本一である花はすに着目して、「花はすの町、南条」を全国にPRするため、平成3年度から“花はす公園”を、町の観光レクリェーションの拠点として、国の史跡「杣山城跡」のふもとに町営休養施設「杣山荘」と併設して整備してきました。花はす公園には、千葉県検見川遺跡で眠っていたはすの実が、2千年ぶりに蘇った「大賀はす」をはじめ、世界の花はす108種類が、優雅な姿で約33千uの広大な公園に咲き誇ります。公園中央には、美しい総桧造りの休憩所としての「瓜生の舘」があり、その名は、かつて南北朝時代の杣山城主であった「瓜生保」公に由来し、当時の面影を残すような静寂なたたずまいを見せています。また昭和60年に建設した「杣山荘」は、平成6年には温泉掘削事業により良質な温泉が涌き、平成7年には、花はす温泉「そまやま」と名称を変え、リニューアルオープンし、現在は、宿泊人数66名、100畳の大広間、大浴場、露天風呂を完備し、年間10万人以上もの方々に利用されています。
 同温泉では、はすの薬用効果を活かした「はすうどん」が人気を集めています。この「はすうどん」は、平成5年7月の「花はす公園」のオープンに合わせて地区内の地域づくり団体「南条熱中塾」が考案し、商品開発したもので、はすの若葉や茎などをパウダーにして、小麦と混ぜて作った地区のオリジナル製品で、人気の秘密は味付けとコシがあることです。
花はすふるさと特産品
花はすふるさと特産品
 この他にも、はすの実甘納豆、はすワイン、はす粥、はす茶等を販売しており、特産品の花はすのアピールに一役買っています。
 また南条地区では、例年7月から8月の「花はす」が咲きみだれる時期に併せて、「花はす」をテーマとした様々なイベントを開催しています。花はす公園を中心に開催する“はすまつり”や、全国マラソン100選にも選ばれる“花はす早朝マラソン”は、平成5年度から毎年開催しており、地区内外はもとより、県外からの来場・参加者も年々増加し、その効果は、単に「花はす」のPRのみに留まらず、町全体のイメージアップと新しい地域の創造・情報発信に大きな効果を生み出しています。
 
今後の課題
 しかし、今後の課題も多く、観光などで訪れる方は、夏の時期に集中し、かつ滞在時間は短く、四季を通じた、魅力ある充実した滞在型の観光施設の整備が望まれています。
 今後、町では、「杣山城跡」と「花はす公園」・「花はす温泉そまやま」の杣山周辺を、観光・レクリェーションゾーンと位置づけ、歴史と文化が互いに調和した施設として整備を進めることで、夢とロマンに満ちあふれた「杣山の夢、花はす薫る町」を創造し、南越前町らしい個性豊かなふるさとづくりを推進していきたいと考えています。
 また、南条地区のシンボルとも言える杣山居館跡の発掘調査を今後も進め、子供から大人まで町民全てが生きた学習教材として活用できるよう整備し、様々な企画を行なっていきたいと考え、花はす公園についても今後積極的に施設等の充実を図り、特産品「花はす」をアピールしていきたいと考えています。
 
今庄地区
今庄365スキー場が「そばテーマパーク」に変貌
「そばまつり」全景
「そばまつり」全景
 「名物今庄そば、うまいよ!いっぺん食べてみてや!」五月晴れの新緑の中、あちこちでお客を呼び込む威勢良い声が聞こえます。5月下旬の日曜日に、平成16年で17回を数える、町の誇るべき大イベント「今庄そばまつり」が開かれ、毎年1万人以上の人々が、「名物 今庄そば」を味わうためにこの地を訪れます。会場である今庄365スキー場の芝生広場には、大小40張り以上の色とりどりのテントが並び、「木ノ芽そば」、「地蔵そば」など、それぞれの地域や集落の特性や風土を活かした個性ある店舗名の手作り看板が立ち並び、蕎麦を植栽した幾つものプランターがイベントステージの周りを埋め、その上で、そばの早喰い・多喰い競争など「今庄そば」を使った催しが次々と行われます。また、会場内のスキーセンターは仮設のそば道場となり、多くの親子連れなどがそば打ち体験をするなど、広大な敷地を誇る今庄365スキー場は、終日まさに「今庄そば」のテーマパークと化します。
個性ある手作りそば屋のテントが立ち並ぶ ←個性ある手作りそば屋のテントが立ち並ぶ
今庄365スキー場キャラクター「タッピー君」
今庄365スキー場キャラクター↑
「タッピー君」
 
今庄とそば
「名物 今庄そば」
「名物 今庄そば」
 今庄の地にそばが伝えられたのは、約400年前の慶長年間に、本多富正公が伏見から府中(現在の武生市)に城主として国替(転任)した時、同行していたそば師金子権左衛門が蕎麦粉を牽き、捏ねて麺状にしたものに、大根おろしをかけて食したことが始まりと言われています。
 風味の良い蕎麦を収穫するためには、昼夜の気温差が激しい山間地が適地とされています。今庄はこの条件に合致し、さらに清流にも恵まれていることから、小粒で香りの高い独特のそばが生産されています。その質の高いそば粉に、自生する山芋(やまのいも)を“つなぎ”として使うことで「今庄そば」独特の風味を醸し出しています。
 「今庄そば」は、この地が古より宿場町として栄え、旅人の往来が盛んであったことで、人々の口伝えで広く知られるようになりました。特に明治に入ると北陸本線が開通し、今庄駅のホームの立ち食いそばは大変な賑わいをみせ、汽車の乗客という媒体を介して名物「今庄そば」は、関西・中京地域にその名を轟かせることになりました。現在、今庄地区内のそれぞれ個性的なそば屋には、当時のことを懐かしみ、「今庄そば」を食することを目的に、当地を訪れる人も少なくありません。
 
継続は力なり
今庄そば道場
今庄そば道場
今庄そば道場 そば打ち風景
今庄そば道場 そば打ち風景
 昭和62年、交流人口の拡大と特産品振興を図ることを目的に、当時としては農村体験交流施設の先駆けであった「今庄そば道場」がオープンしました。その存在を多くの人々に知ってもらうとともに、「今庄そば」という素材をとおして町の知名度を上げるために、その翌年の昭和63年から「今庄そばまつり」を開催しました。しかし、その運営は、当日はもちろんのこと、前々日からの準備、後日の後片付けに至るまで、町の職員をはじめ、そば道場のそば打ち指導員や一部の関係団体が中心となった行政主導型のイベントであり、何処にでもある田舎の春まつりという感じの、地域コミュニティという観点からは、かけ離れたイベントでした。
 それが一変したのが、平成5年(第6回)から取り組んだ、公募による地域・集落出展方式でした。地区中あちらこちらで、こぞってそばを打ち、各集落のメンツをかけ、我先にと自慢のそばを売ることで会場に訪れる人々の食欲をそそり、活気を感じさせる「まつり」に生まれ変わりました。さらに、地区民の多くが何らかのかたりでまつりに関わるようになったことで、このまつりが今日まで継続している大きな要因となっています。
 
まつりの一日
  「そばまつり」に出店する集落では、前日夜から当日早朝にかけ、老若男女問わず住民総出で、それぞれの役割に応じ分担して準備を進めます。
 蕎麦粉と“つなぎ”のブレンド具合、そして水加減は、その日の気温や湿度によって、微妙に変わります。そばが生き物と言われる由縁です。そのため、集落の中でも、名人・達人と称される人物が、その分量等を決め、その定めにより、そば打ちが始まります。そばのコシが決まる蕎麦粉を捏ねる力を必要とする作業は男衆が担当、根気良く薄く丁寧に延ばし、程好い太さに切る作業は女衆の役割となっています。
 そして、1000食分以上の生そばを諸蓋(モロブタ)に並べて会場へと運び、開会宣言と同時に、集落一と評判の小町娘(?)が、早乙女姿で客を呼び込み、その場で生そばを湯掻き、薬味のネギと大根おろしをかけて自慢のそばを次々と売り裁きます。人気のある店舗では、終日長い行列ができます。
 
町民総参加のまちづくり
 まちづくりに対する住民意識が希薄となりつつある今日、「今庄そばまつり」は、今庄地区内の各集落がそれぞれの知恵を出し合い、協同し、実行することによって、毎年多大な賑わいをもたらす、まちの誇るべきイベントです。先人から受け継いだ自然・風土・文化から生まれたまちの代表的なブランドである「そば」をとおして、町民一人ひとりの手によるまちづくり活動を今後とも積極的に支援し、まちづくりへの参加を促進し、町民同士の交流と連携を一層深め、連帯感と郷土愛に満ちたふれあいのまちづくりを進めていきたいと考えています。
 
今後の課題
 集落出店方式を採用して10年が経ち、出店する地域・集落の中で世代交代が始まったことにより、出店集落の減少が目立ちはじめました。「そばまつり」が地域コミュニティの祭典としての位置付けを確たる事業とするため、新たな魅力ある企画の創造を図る必要があります。
 また、会場へのアクセスが自家用車しかないことから駐車場が開会まもなく満車になり、遠方から時間をかけてやっとの思いで会場に入っても、そばがすべて売り切れとなっていることもあり、交通事情、接客、対応の不手際などに対し様々な苦情が相次ぐとともに、トラブルが発生することもしばしばあります。
 主催者側としても、過去の反省を踏まえて様々な手法を凝らし対応していますが目立った効果がなく、根本的な対応が必要となっています。
 
河野地区
「北前船の歴史むら」づくり事業
北前船主の館 右近家の全景
北前船主の館 右近家の全景
右近家と北前船
 江戸中期から明治前期にかけて、大坂〜蝦夷地(北海道)を結んで日本海廻りで、各地で商い(買積)をしながら不定期に往復した廻船を北前船と呼びました。右近家は北前船主として、天明・寛政(江戸時代)の頃から活躍し、全盛期には、八幡丸ほか30余隻を所有しました。以後、北前船の衰退とともに、蒸気船を導入し海運の近代化を進めると共に、海上保険業に進出、事業の転換を計り日本火災海上保険株式会社として現在に至っています。  現在の邸宅は、天保時代の構えを基本に明治34年に建て替えられました。上方風切妻造瓦葺二階建で、内倉、浜倉を配し、材料は北前船が産地から運んだという豪勢な構えで、その中に上方文化を取り入れ繊細な造作を見ることができます。背後の山腹は庭園となっており西洋館と亭(展望台)が建てられていて本邸から歩道で結ばれ、すばらしい日本海を眺めることができます。
 河野地域では、この地域に残された歴史遺産を保存活用して村の活性化を図っていきたいという構想のもとに、昭和62年に「北前船の歴史むら」づくり事業を始めました。幸いに、船主である右近家や中村家の豪華な建物や、それに関連する街並みは昔のままの姿で残っていて往時の風情を醸し出していることから、右近家(東京在住)の邸宅と屋敷を村で借用管理させてもらい、平成2年に北前船の資料館「北前船主の館・右近家」として、建物と山腹の庭園ならびに右近家廻船関係資料の展示を目的にオープンしました。それ以来、この館を「北前船歴史むら」づくりの核として事業の推進を図り、観光面からの活性化を進めてきました。
 
北前船の学習と研究を中心としたソフト面の充実
 そのような施設面で整備を進める一方で、河野地域では文化面からも北前船関係資料の集積保存と、北前船の学習と研究に力を入れたソフト面での活動を展開してきました。その一つが、「西廻り」航路フォーラムです。平成3年から1年おきに1泊2日の日程で行われ、平成12年5月には第5回目のフォーラムを開催しました。初回から回を重ねるごとに内容も充実し、北海道から九州に至る広範囲にわたり研究者の皆さんの出席をいただき研究発表と討論が行われてきました。その経過と内容は次のとおりです。
 
「西廻り」航路フォーラムの
歩  み

 

第1回「西廻り」航路フォーラム
平成3年10月12日(土)〜13日(日) 71名

・講演「北前船と弁才船」
  【安藤裕之・東京大学教授】
・講演「北前船から見た若越と加賀」
  【牧野隆信・加賀市文化財保護審議会長】
・特別展「山丹交易」北のシルクロードより河野浦へ

 

第2回「西廻り」航路フォーラム
平成5年10月16日(土)〜17日(日) 68名

・講演「北前船と尾州廻船」
  【斉藤善之・
   日本福祉大学知多半島総合研究員】
・講演「北前船と北国の文化」
  【青木美智男・日本福祉大学教授】
・特別展「右近家 海運業の近代化」

 

第3回「西廻り」航路フォーラム
平成7年8月26日(土)〜27日(日) 150名

・記念講演「中近世日本海海運の構造と地域市場」
  【永原慶二・一橋大学名誉教授】
・特別講演「李朝後期(18〜19世紀)における
 朝鮮沿岸海運の展開」
  【崔完基・梨花大学(韓国)教授】
・シンポジウム「前近代社会の海運と市場
 〜海をめぐる歴史像の再検討〜」
※今回のフォーラムは右近家文書の世界から情報を発信して、全国的な視野から問題を追及することを意識的に試みました。

 

 

第5回フォーラムの様子
第5回フォーラムの様子

第4回「西廻り」航路フォーラム
平成9年8月30日(土)〜31日(日) 124名

・講演「船箪笥から見た北前船の世界」
  【小泉和子・生活史研究所主宰】
・講演「海の博物館から見た北前船主の館・右近家」
  【石原義剛・海の博物館長】
・シンポジウム「北前船をめぐる歴史像の再検討」
※今回は、北前船主右近権左衛門文書目録が刊行され1万8千点余の全容が明らかになりましたので、これらの成果を踏まえて、これまでの北前船のイメージを見直し、新しい北前船の歴史像を大胆に提起しました。

 

第5回「西廻り」航路フォーラム
平成12年5月13日(土)〜14日(日) 131名

・講演「北前船商人の経営戦略」
  【中西聡・名古屋大学助教授】
・講演「大坂から見た北前船と北国市場」
  【斉藤善之・東北学院大学助教授】
・総括「新しい北前船の歴史像を求めて」
  【青木美智男・専修大学教授】
・特別展「河野・今泉浦は小敦賀でござる」
※今回は、越前・加賀・越後の廻船について各地域から見た北前船商法に視点をあてて議論しました。

 

 
課題と問題点
  このように、5回にわたってフォーラムを開催し、研究者と地区民との交流も行われていますが、まだまだ地区民に密着したフォーラムとはなっていないのが現状です。
 研究者と地区民との交流を深めるために、地区の中でも専門的な知識をもった人材育成のための学習会(河野座)を開催していますが、参加者も限られており、今後地区民の知識の向上を幅広く図っていく必要があります。
 また、今後は情報化社会に対応したホームページの作成など、南越前町から全国に向けて北前船の情報発信を充実させる必要があるとともに、北前船に関係のある地域とのネットワークづくりに取り組むことが必要であると考えています。
 
おわりに
  「西廻り」航路フォーラムを始めてから、早くも13年の歳月が過ぎたわけですが、その間に、右近家文書1万8千点余が解読されて、第3回以降は、北前船主右近権左衛門家文書の世界から、そのタイムカプセルをひも解き、日本海海運の全体像を解明するよう意識的に試みてきました。
 今後は全国的な視点で問題点を掘り下げ、北前船の果たしてきた日本経済への貢献を更に追及していくことで、北前船情報発信の「母港」としての役目を果たしていきたいと考えています。
北前船関係図書
■北前船関係図書内訳
書籍名 著者名 発行元 販売価格
北前船主の館総合案内 福井県河野村 河野村 1,500円
海への祈り 2,000円
第1回
「西廻り」航路フォーラム報告書
1,000円
第2回
「西廻り」航路フォーラム報告書
1,000円
第3回
「西廻り」航路フォーラム報告書
「北前船と日本海の時代」
日本福祉大学
知多半島
総合研究所
2,625円
第4回
「西廻り」航路フォーラム報告書
「北前船から見た河野浦と敦賀湊」
福井県河野村 2,520円